砂漠でのLSDは究極の信頼ゲーム【スマートジャンキーリポート10】
今日は伊豆大島に行った時の話。
「フェリーの時間間に合うかな」
「ギリギリだよね、まあ大丈夫っしょ」
浜松町の近くの竹芝という所に向かっていた。この日は親友と旅行を計画していた当日。親友と以前から島でLSDを食べてみたいと話していた。
自然に囲まれた場所で曲がるのが好きだった。何度も言うが自然とLSDは本当によく合う。島なんて最高のはずだ。
ほどなくして伊豆大島行きのフェリーに乗った。親友は旅行の時には「早くLSDを食べたい」としか言わない。素晴らしいジャンキー精神だ。
港に着くと観光客がたくさんいた。とりあえず海辺でジョイントを吸って港の食堂でお昼ごはんを食べた。
大島の海鮮丼はとても新鮮で美味しかった。ご飯の印象なんてそれくらい。自分達はその後のLSDのことしか頭に無い。
到着し、宿の人と少し話してから車を借りに行った。山に行くなら日が暮れる前には帰ってきたほうが良いとのことだった。
車を借り、三原山という山に向かう最中にLSDを食べた。この日食べたのはカリフォルニアサンシャインというLSD。
視界も綺麗に見えるし体の不快感も無く好みの種類だった。今回大島に来た目的は砂漠だ。
「砂漠はどこからが砂漠になっているんだろう?」
という友人との会話から興味が出た。なので自分達の目で確かめてやろうという話になった
三原山には「裏砂漠」という砂漠がある。なんとも惹かれるネーミング。日本唯一の砂漠だ。
車に乗って裏砂漠を目指した。裏砂漠へは月と砂漠ラインというなんとも響きの良い名前の道を経由する。
車で入り込めるところまで行き、降りてからLSDをもう一枚追加。木々に手招きされるかのように進んでいく。
木々に囲まれた道を抜けると急に別世界が広がった。
空と砂漠の境界線が綺麗に分かれている。急に違う惑星に飛ばされたかのようだ。
気を抜くと綺麗な絵の中に吸い込まれてしまった気分になる。視界には雲だけが優雅に踊って、ご機嫌そうに映る。
空の主役は雲だ。青空ではない。定位置が無く、楽しそうに流れる雲には憧れのような感情を抱いた。
雲は意思を持って流れていた。自由そのものだ。
一方、砂漠は無機質で動きはない。
だが良く見てみると優しい表情を見せる一面があったり、無表情な一面があったり、気を抜いたら飲み込まむぞと言わんばかりの冷めた表情をしている一面も見える。
視線を向ける方向によって表情が変わっていく。砂漠は一枚岩ではないみたい。
「あれ展望台じゃね」
「行ってみよう」
展望台とは言っても看板が立っているだけで殺風景だ。他には何もない。
砂漠には生物がいない。生命が存在しない世界は退廃的だけどどこか美しい。
周辺を散策しているうちに、相当な時間を砂漠で過ごしていた。
景色が変わらないのは時間の感覚を消失させた。この時の自分達は薬効がピーク。
日が落ちてきていることに一切気が付かなかった。気がついたら辺りが薄暗くなっている。
「そろそろ戻らないとまずいかも」
そう親友が言ったときにはもう遅かった。日はまたたく間に落ちていく。辺りは暗くなり、途端に体が冷える。
日が落ちた砂漠の道はとても険しく、足が取られる。つい先程までのどちらとも取れない表情とは一変した。
咄嗟にザザザっと音が鳴る。
「痛ってーーー」
親友が足を踏み外し転んでしまった。近くに駆け寄り手を貸して立ち上がった。
砂漠とは言っても砂ではない。火山灰は鋭い岩だ。親友の手からは血が出ている。
しかも携帯を見ると圏外。ここはどこなんだろう?
何故か真っ暗だし寒いな。ああ、そうだ。自分達は砂漠に居るのか。
これが繰り返され、ループしている。1秒前に見た景色は忘れ、急にその場所にワープしてきたような感覚。
まるでゲームだ。ワープする前の記憶はない。今置かれている状況を理解するところからゲームの攻略は始まり、記憶はすぐどこかへ行く。
「どっちを向いて歩けばいいんだ?」
「えーっと。。」
遭難状態だ。戻る方向が分からない。恐怖が浮かぶ。味わったことのないほど。
荷物は最小限だし水の残りはペットボトル半分。戻る方法を必死で考えた。ふと親友を見ると顔が真っ青だ。
「おい、お前大丈夫か!」
親友は気を失い転倒した。幸いにも頭は打っていない。寒さと過酷な状況で貧血を起こしたみたいだ。
絶望の色は黒ではない。例えるならテレビの砂嵐が映る画面に似ている。ブラックノイズの中に時折り原色のような色が混ざる。
ふと親友が何かを思いついたかのように喋り出す。
「iphone電池残ってる?」
「まだあるよ」
「コンパスとiphoneのマップを使って調べてみよう」
幸い二人ともiphoneの電池が残っていた。視界が可怪しく、地図が見れなくなっていたので親友にiPhoneを託した。
恐怖は口や顔に出すと伝播して大きくなってしまう。大丈夫だと言い聞かせる。しばらくして親友が言う。
「多分こっちだ。向かってみよう」
方向感覚を失っていた自分は、親友を信じて道を進んだ。しばらく歩くと道中見かけた小屋を発見した。
入ると暖炉があり、炎が灯っていた。
「人が居たのかな?」
「わかんない。でもここまで来れてよかった」
炎は母親のように包み込んでくれた。「もう大丈夫」だと言われたような気がした。心を落ち着かせてくれた。その瞬間に視界が色付いていった。
小屋からの帰り道のことはあまり記憶にない。生きて帰れることに安堵して忘れてしまったんだろう。
帰る車に乗り込む時、ボロボロに汚れたイージーブーストを目にして自分達が置かれていた状況の過酷さを再認識した。
砂漠を後にして海辺に向かった。海はいつも穏やかな表情だ。防波堤でジョイントを吸いながら歩いていた。
ホワイトウィドウの土臭ささえ心地よかった。残り僅かで火が消えそうになり、最後の一吸いを親友に託した。
「お前とじゃなきゃ生きて帰ってこれなかったかも」
そう言い残し海を後にした。
砂漠でのLSDは究極の信頼ゲームだった。
おそらく親友が居なかったら自分は死んでいたし、自分が居なかったら親友も死んでいただろう。
無謀だった。ドラッグを使った経験上、最も死に近づいた。生きて帰れたのは間違いなくお互いがお互いのことを信用していたから。
誰もが生きていたら死ぬ。そして人は死を恐れる。死を恐れる理由は未体験だからだと思う。
死は体験できない。死が起こる時に体験する意識そのものが無くなってしまう。
体験できないものを恐れるというのはなんとも皮肉的だと思う。
死ぬのが怖いというのもただの固定概念なのだろうか。
ただ、死を間近にすると未曾有の恐怖を感じたことは確かだった。
ドラッグで死にかけたことは何度もあったけど、物理的に死を覚悟したのはこれが初めてだった。
生と死も二面性だ。
普通に過ごしていればまず生を実感することなんて無い。
死の淵ギリギリまで近づいたことで生を実感することができた。
この日は死生観について考えるまたとない機会を与えてくれた。
衝撃的な経験から何に気づき、どう人生に落とし込むかで、人生の向かう方角は変わっていくのだと思う。
この経験を経て、死んだように生きるのは辞めよう。そう思った。
このドラッグリポートは副作用も無く極めて事実に近い薬物接種体験を楽しむことができます。安心して服用して下さい。
※この物語は全てフィクションです。違法薬物の使用、犯罪行為を助長するものでは一切ございません。
Twitterではドラッグに関する役立つ知識を発信しています。是非フォローしてください。
https://twitter.com/sativadepakkaan